前回↓の続きです。
1歳を前にテレビを解禁したワケ

2歳までテレビは見せない!!と妊娠中豪語していた私ですが、娘を育てている内に、3つの壁にぶち当たりました。
①赤ちゃんとずっと遊ぶのって難しい
前回の記事の冒頭で記載しましたが、私、そもそも子どもを相手にするのは得意ではありません。
言葉の通じない赤子相手に、何をしたらいいのかさっぱり分からず。
育児書を読み、モンテッソーリ教育するぞなんて意気込んでいましたが、赤ちゃんとの遊びなんて、数分単位で終わってしまうものがほとんど。
赤ちゃんの足裏を合わせてあげて刺激を与えましょうとか、足先から顔までこちょこちょいもむし遊びをしてみましょうとか…
いや、5分ももたないんだが!?!?
しかも当時の私、子どもの前で極力スマホも見ないと決めちゃっていたので、本当に時間が経つのが遅すぎました…。
②育児は孤独
“子育て”ならぬ“孤育て”なんて言葉が生まれるぐらい、育児は孤独だということを、子どもを産んで初めて知りました。
赤ちゃんと2人、仕事もせず1日過ごせるなんて最高じゃん!
とうきうきして迎えた産後&育児休暇でしたが、大人と話せないことがこんなに苦痛だとは…。
これは経験してみないとわからない辛さですね。
まだ犬とか猫とかの方が意思疎通できるよな〜なんて思っていました。
当時、夫が帰宅するのは基本19時でしたが、その時間が待ち遠しくてたまらず、夕方頃から赤ちゃんの黄昏泣きと闘いながら、何度時計を見ていたか分かりません。
そんな私の状況を知らない夫、一度連絡なしで20時に帰ってきたときがあって、私めちゃくちゃブチギレました。
夫からしたら、いつもより1時間遅くなっただけでそんなに怒る!?って感じだったと思いますが、こちらはその時間を朝から待ち侘びているし、更にその時間に合わせて諸々スケジュールを組んでいるのです。
そりゃ怒りますよね。。。
③途切れ途切れの家事は超ストレス
これも経験しないと分からなかったことですが、家事がいちいち中断されるのって、めちゃくちゃストレスです。
仕事中、度々電話がかかってきてなかなかメイン業務が進まない経験がある方は、それと同等だと思っていただいていいかもしれません。
皿洗いをしていたら泣き声が聞こえてきて、手についた泡を流し、あやしてからまた泡をつける。
洗濯物を干していたら泣き声が聞こえてきて、慌ててベランダから部屋に戻り、あやしてからまたスリッパを履いてベランダに出る。
1人なら数分で終わる家事が、一向に終わりません。
しかも、あやしているうちに、それまで何をしていたのか忘れてしまうこともあり、気づけばやりかけの家事がたくさん…何一つ終わっていないということも多々ありました。
偉大なる”おかあさんといっしょ”
これらのストレスから私は限界を感じ、とりあえず罪悪感から逃れるために、「おかあさんといっしょ」なら教育番組だしいいか…と遂にテレビを解禁。
まぁ…なんというか、神かと思いました。
ものの15分程度の番組ですが、当時の私、救済されました。
ほっと一息つける時間を確保できたのです。
それまで赤ちゃんが寝ている時間=家事の時間で、平日は自分時間が皆無でした。
仕事をしているときは、トイレに行ったり、飲み物を飲んだり、同僚とゆっくりランチを食べる時間がありましたが、育児中はそれすら常に赤ちゃんのことを気にしながらだったので、常に呼吸が浅い状態。
そんな中で、たった15分でも赤ちゃんが泣くことなく大人しく夢中になるものができたことで、ゆったり深呼吸ができる時間を確保できたことは、私にとって本当に天に召されるかのような解放感だったのです。
味をしめた私

自分時間ができたことで、少し余裕のできた私。
それまでどんよりな気分を隠しながら、やや無理やり作った笑顔で赤ちゃんに接していたように思いますが、少しずつ楽しいと感じるように。
これはテレビ効果だ!と味をしめた私は、娘に見せるテレビと、自分が楽しむテレビを少しずつ増やし、最終的には1日2時間はテレビを観るようになっていました。
自分時間0の育児は、自分の首を絞めるだけなんだと気づけたのがこの頃です。
(もちろん、私の場合はテレビが息抜きだったというだけで、それが読書だったり、漫画だったり、音楽鑑賞だったり、人それぞれだと思います。)
フルタイム笑顔で赤ちゃんに向き合える方もいらっしゃるかもしれませんが、私には無理でした。
これは、やってみないと分からないことだったと思います。
それから少しずつ、この時間ならそんなに神経質に赤ちゃんに付き合わなくても大丈夫だというタイミングが分かってきて、テレビだけでなく、本を読んだりスマホを見たりする時間が出てきました。
もちろん、育児が最優先なのには変わりありません。
自分時間はボーナスタイムで、いつでも取れるわけではありませんが、取ってもいいのだと知ることができたのが、私にとっては重要でした。
赤ちゃんに向き合いつつ、自分にも向き合えるようになってきたのです。
もし最初から力を抜いていたら?

私がもし育児に全集中することなく、最初から力まずゆるっと育児ができていれば、どうなっていただろうと考えることがあります。
恐らく、それはそれでメンタルをやられていただろうというのが私の結論です。
自分時間が最優先となり、育児=それを邪魔するものになりかねないからです。
そうなると、せっかくテレビを観ているのに、赤ちゃんの泣き声が邪魔で楽しめない、せっかく本を読んでいたのにいいところでおむつを替えないといけない、といったストレスを過剰に感じることになるでしょう。
私の場合、最初にがっつり育児に向き合い、育児最優先の中における、自分の限界を知ったからこそ、手の抜きどころが徐々に掴めてくるのであり、育児と自分時間の両方を、バランス良く楽しむことができるようになりました。
向き合わないまま最初から手を抜いていたら、自分の限界を知ることはなかったでしょうし、育児の楽しみも中途半端にしか知ることができなかったのではないかと思います。
これってなんだかお酒の嗜み方に通じるものがあるなと。
お酒も一度自分の限界を知ることで、お酒を楽しめるラインを知ることができますよね。
若い頃何度かやらかしましたが、あの経験があるからこそ、今どこまでなら体調を崩すことなく楽しく飲めるかを知っています。
次回、こういった経験を踏まえ、今2人目をどのように育てているかをご紹介し、最終回にしたいと思います。

